講師インタビュー

高島 穣成増塾 塾長

成増塾の講師は他の塾の講師とは心構えが全く違っていて、真のプロとしての自覚を持っているわけです

まずは自己紹介からお願いします。

1963年5月30日生まれ、生まれも育ちも東京、新宿です。地元の中学から都立戸山高校、早稲田大学に進みました。
成増塾では塾長をやっていて担当科目は英語です。
大学を卒業して最初にサラリーマンとして働きました。半年ほどですけどね。大阪のゼネコンで、今、談合で話題になっている大林組という会社です。

もともとはサラリーマンやられてたんですね。サラリーマン時代の生活について少しお話ください。

そうですね、当時はバブルの真っ最中で、世の中全体が浮かれた時代でした。大手ゼネコンは景気も良かったのでみんなイケイケって感じでした。東京でもディスコのお立ち台とか。あるじゃないですか、女の子がクジャクのウチワみたいなのひらひらさせてるやつ。僕は最初の赴任先が大阪だったのですが、大阪も同じような感じでした。仕事終わると会社の仲間みんなでディスコ行ったりとか。楽しかったですね。当時、初任給が20万だったのですが、給料はもらったら3日くらいで使ってたな。

え、給料を3日で使っていたんですか?

ええ、寮生活をしていてほとんどお金がかからなかったのでそんなことができたんです。
最初の3日で給料を使い切って、次の給料日までは寮で地味に暮らす、みたいな。
終電逃すとタクシーに乗らずに、1時間かけて寮まで歩いて帰るとか。

それはすごいですね。

まあ、時代の雰囲気がそんな感じでしたからね。

で、会社は半年でやめられたんですね。

ええ、決断するのに時間はかからなかったですね。入社式の時にやめようと思ったかな。

入社式でですか?それはまたどうしてでしょうか?

入社式の時、社長が「みなさんはわが社のために一生懸命はたらき、会社に貢献してください。」みたいなこと言ってるんですが、それを聞いてシラケちゃったんです。

それはどういうことですか?

–  「なんだ、結局会社のために働かされるのか!」って。一生懸命やっても、サラリーマンは結局会社のために働いてるわけで、そんなのつまらないなと。この会社で頑張っても、係長、課長、次長、部長と上がっていって、運が良ければ重役になれるというだけ。それで気が付いたら定年になってます。僕はそんな人生はまっぴらごめんだなと思ったんです。
やっぱりリスクはあっても頑張った分が全部自分に跳ね返ってくる仕事がいいな、と。

やっぱりリスクはあっても頑張った分が全部自分に跳ね返ってくる仕事がいいな、と

–  なるほど、塾長はサラリーマンに向いてなかったんですね。

–  ええ、そうでしょうね。だけど、当時はこんな考え方をする人間は少数派でした。会社を辞めると上司に告げたら「よく考えろ、こんないい会社他にないぞ。」と説得されました。父親も東京から大阪にあわてて説得しに来ましたね。とりあえず一部上場の大企業で、辞めてしまったら2度と戻れないわけですからね。

–  それでも決意は変わらなかったんですね。

–  ええ、これは僕の生き方の根本にかかわる部分ですから他人のアドバイスは無意味でしたね。たとえ親であっても。

–  うーん、生き方の根本にかかわる部分ですね。

–  リスクはあっても頑張った分が全部自分に跳ね返ってくる仕事をすべきだ、という考え方は、実は成増塾の講師の先生方との契約でも徹底しています。

–  それはどういうことですか?

–  実は成増塾で働いている先生方は成増塾の従業員ではないんです。従業員は会社に雇われる身分ですが、そうではなく、成増塾は講師と業務委託関係を結んでいるんです。わかりやすく言うと、講師はそれぞれが独立して会社を作っている事業主です。つまり、一人ひとりが社長なんです。一人ひとり自分が社長だから、自分の仕事に全責任を負っています。
責任が大きい反面、やりがいも見返りも半端なく大きくなります。
ホームページでも公表していますが、成増塾で生徒から支持され、実績を上げているトップ講師の人たちは年収2,000万から3,000万円をかせいでいます。

–  なるほど、それは確かに徹底していますね。

–  ええ、大手予備校でもこれだけ稼ぐ人たちはなかなかいないのではないかと思います。
僕が大手予備校で働いていた時も年収は700万くらいでしたから。
だけど、全部自分の責任でやるんですから、このくらいの見返りがないと本当はおかしいんですよね。
だから成増塾の講師は他の塾の講師とは心構えが全く違っているわけです。
真のプロとしての自覚を持っているわけです。

–  でも全員がそんなに高額の年収を得ているわけではありませんよね。

もちろんそうです。年収2,000万以上になると講師全体の1割程度ですね。だけど、大事なことは講師全員が平等にチャンスを持っているということです。
若い先生でも頑張り次第では数年でそのレベルになれます。

– 講師の定年はあるんですか?

ありません。生徒に支持されている限り、成増塾で講師を続けることができます。極端な話、80歳になっても生徒が受講すれば成増塾では講師を続けることができるんです。

成増塾では講師は全員が社長だし、当然、定年がないんです。定年が会社ではなく自分で決めるものなんです。

– それは本当にすごいですね。

ええ、さっきお話しした通り、これは僕がサラリーマンだった時に感じたことが原体験としてあるわけです。「いくらやっても結局は会社のために働かされている。」とか「定年が来て会社を去ればそれまでのキャリアは無意味になる。」とか。僕はそういうの我慢できないんです。自分に我慢ができないことを人に強いることはできません。
だから、成増塾では講師は全員が社長だし、当然、定年がないんです。定年は会社ではなく自分で決めるものなんです。

– 「定年は自分で決める」ですか。なんだかカッコいいですね。

僕に言わせれば、会社から「あなたは年だからもう辞めてください。」と言われて「はいわかりました。」と言って辞めなければならない方がおかしいと思うんです。それじゃ、自分の人生を生きているとは言えないですよ。

–  講師の先生方は、授業の内容を自分で決めることが出来るんですよね。

はい、そうです。成増塾の先生に対し、僕がお願いすることはたった一つです。
「先生の受け持っている生徒を合格させるためにベストを尽くしてください。」というだけです。それ以外は一切言いません。
それは、受け持っている生徒に対して、講師が全責任を負うことを意味します。受け持っている生徒の成績が上がるか上がらないか、合格できるかできないか、すべて講師にかかっているわけです。講師は結果が出なかった時の責任をだれかに転嫁することはできません。

–  授業で使うテキストも先生が選ぶんですか。

もちろんです。自分がいいと思ってない教材を使って教えることは講師にとって非常に苦痛です。
僕は大手予備校で勤めていたときに、ほかの講師が予備校にあてがわれたテキストを見ながら「こんなテキスト使ってもダメなんだよな」とため息まじりに言っていたのを何度も見たことがあります。結局、自分がいいと思ってない教材を使っても生徒にそれは伝わるし、教えている講師本人もやる気が起きない。
そんなわけで成増塾ではどの教材を使うかは講師が決めます。トップ講師の先生方は何年もかけてオリジナル教材を作成しています。

–  なるほど、成増塾は「”いい講師が集まっている”という評価が定着している」と噂になっていますが、それは講師に大きな裁量がある独自のシステムによるものなんですね。

その通りです。人にものを教えるというのは本来とても素晴らしい仕事です。ましてや、人生において心も体も頭も伸び盛りの中学生、高校生を相手に勉強を教えるというのは本当にやりがいのある仕事です。そのやりがいのある仕事をだれからも指図も受けず、思い通りにできる、そんな職場を僕は用意したかったのです。

会社を辞めてから、大学院に入りなおしました。塾を作ったのは1996年なので僕が33歳の時です。

–  よくわかりました。少々話が横道にそれてしまったのでまた、本題に戻そうと思います。
先ほど、会社を辞められたところまで伺いました。その後成増塾をすぐ設立されたのですか。

いえ、会社を辞めてから、大学院に入りなおしました。塾を作ったのは1996年なので僕が33歳の時です。

–  大学院ですか。大学の先生を目指されたのでしょうか。

いいえ、そのころは大学院で法律や政治を学んで政治家になろうと思ってました。

–  政治家ですか!

ええ、実は都知事選に出ようと思ったこともあります。

–  都知事ですか!

1999年に青島幸男知事が辞めて、都知事選があったんです。石原さんや舛添さん、鳩山邦夫さんなど有名な人がたくさん立候補しました。僕は僕なりに考えることがあり、立候補表明しました。都の選挙管理委員会に行ったら「ほんとに出るんですか?供託金300万かかりますよ。」と念を押されました。

–  それでも出馬しようと思ったわけですね。

ええ、立候補表明すると、色々な新聞社から電話がかかってくるんです。それで都庁の記者クラブで立候補表明記者会見というのをやりました。

–  反応はどうでした?

ほとんどありませんでしたね。朝日新聞に、「塾経営者の高島氏、立候補表明」って1行だけのりましたけど。

–  それだけですか。

あ、あと「スパ!」という雑誌に載りました。

–  スパって、今でも駅のキオスクとかコンビニで売ってるやつですよね

ええ。スパの編集部から電話がかかってきて「今度の都知事選で主要候補以外の候補にもスポットライトを当てることになりました。タイトルは『我こそは世紀末救世主なり』です。」とか言われたので調子に乗って2時間くらいインタビューに応じてしゃべりました。

–  それで、どうなったんですか?

書店に行って買ってみたら僕が最初のページに載ってました。ただ、タイトルは「世紀末救世主」ではなくて「泡沫候補たちの熱―い主張」でした。全然話が違いますよね。
泡沫候補で有名なドクター中松さんより私の方が大きく載せてもらったことがただ一つ自慢できることですかね。

東大とか難関大を目指す生徒にはやっぱり少人数の教室で授業しなきゃダメだなって思ってました。

あはは。都知事選に出た時には成増塾はすでに立ち上げられていたんですね。

ええ、成増塾は大手予備校に籍を置きながら、1996年に板橋の成増でスタートさせました。

–  自分で塾を立ち上げたのはどうしてですか。

大手予備校の授業では、やはり十分な指導ができないんです。英作文の問題なんか、ほんとは一人ひとり添削してあげたいのに、物理的に不可能なんです。だって、1クラス50人とか100人の生徒がいるわけだから。それで、東大とか難関大を目指す生徒にはやっぱり少人数の教室で授業しなきゃダメだなって思ってました。

–  生徒さんは最初から集まりましたか?

最初は厳しかったですね。代ゼミの講師仲間に「今度塾始めるんだ。」と話したら「お前、塾が世の中にどのくらいあるかわかってるだろ?お前の塾に生徒が一人でも来たら逆立ちして町内一周してやるよ」と言われました。

–  周りの反応は冷ややかだったんですね。

ええ、冷ややかっていうか、あきれてましたね。母親なんか「あんないい会社辞めちゃって、あんた何やってるの。」とか。大学のゼミの先生も「自分で塾を作ったの?君もそろそろちゃんとした仕事したらいいんじゃないの」といってあきれてました。

–  最初はいろいろご苦労なされたんですね。

ええ、あとで塾の説明会に来た生徒に聞いてみたら「どこかの塾から変な封筒が来たよってお母さんが渡してくれたので中身を見たらワープロでぎっしりいろいろ書いてあって。あれ、メチャクチャ怪しかったですよ!」と言われたのには落ち込みました。自分としては渾身のダイレクトメールを作ったつもりだったんですけどね(笑)

–  なるほど。でもとりあえず生徒は何人か来てくれたんですよね。その後、塾は順調に伸びていくんですか。

いいえ、最初は全然ダメでした。塾を立ち上げて数年間は説明会やっても参加者ゼロとかよくありました。無名の塾なんてこんなものなんだな、と思い知りましたね。

–  それが現在は600名以上生徒が在籍する塾になりました。

ええ、少しずつですが、生徒が増えていきました。やっぱり大手予備校の大教室でやっているのとは違う教え方をしているのでそこに魅力を感じてくれる生徒がいるんですね。
あと、いい講師が来てくれたのが成長できた大きな理由です。

塾で教えた生徒が人生の節目節目で連絡してきてくれるなんで嬉しいじゃないですか。

塾長は今でも現役の講師として教えておられますが特に印象に残っている生徒さんはいますか?

そうですね。塾を始めて間もないころの生徒だった坂本亮さんは特に印象に残っています。
坂本さんは現役で慶応の経済学部に合格し、在学中に会計士の試験に合格しました。彼は税務の会社を自分で立ち上げて今ではどんどん仕事の場を広げています。彼には現在、成増塾のOB会長をやってもらってます。

–  成増塾にはOB会があるんですね。坂本さんがOB会長になったいきさつを教えてください。

ええ、彼は会計士の試験に合格してくれた時に僕にハガキをくれたんです。「お蔭様で会計士の試験に合格しました」って。嬉しかったですね、僕のことを忘れずに覚えていてくれたなんて。それで何年かぶりに食事を一緒にしたんです。

–  あ、それ坂本さんがいってました。なんでも新宿のパークハイアットの最上階のレストランでご馳走されたとも伺いました。

そうでしたね。久々に会うから少し奮発しました。坂本さんはその後、結婚した時にもハガキをくれました。塾で教えた生徒が人生の節目節目で連絡してきてくれるなんて嬉しいじゃないですか。

–  まさに教師冥利に尽きる、といった感じですね

それで、坂本さんが「成増塾の卒業生は難関大学に合格して社会でも活躍している人が多いからネットワークを作ったら凄いことになると思うんです。」と言ってくれました。これがOB会の始まりです。

–  今では定期的に遊びに来てくれるメンバーもたくさんいますよね。

ええ、大学を出て、結婚して、奥さんや子供さんと一緒にOB会に遊びに来てくれるメンバーもだんだん増えてきました。
彼らと年に数回会うことは僕にとっても本当に楽しみです。

–  それは本当に素敵ですね。まさに一生の付き合いができる塾だと思います。

ええ、彼らとの付き合いは今後もずっと続いていきます。OBの人たちの子供が成増塾に来てくれるという日も遠くはないように思います。

–  それはいいですね。まさに一生の付き合いですね。
今日はお忙しいところお時間を本当にありがとうございました!

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